夏目漱石の夢十夜の内容を解説

Written by Joe
無題

夢十夜、内容難しいですね。内容がさっぱりな人のために要約を載せておきます。

ネタバレ注意、参考にするのは自己責任で~。

■ 第一夜

長い黒髪、輪郭の柔かな瓜実顔うりざねがおとあるのもあわせて実に美しい女性という印象があるが、頬の温かい血の色、赤い唇、真黒な眸という生きた肉体性が死ぬことで、真白な百合に再生したのであり、ここには百年後に実現した永遠の美と愛が描き出されていると言ってもよい。

■ 第二夜

座蒲団の下にある朱鞘しゅざやの短刀によって、死が身近にある生の苦しみが強調されている。冷たい刃が暗い部屋に光り、堪えがたいほど切ないものが身体中の筋肉を下から持ち上げて、毛穴から外へ吹き出ようと焦るけれども「どこも一面に塞がって、まるで出口がないような残酷極まる状態」は、読者も思わず引き込まれて息苦しくなるほどである。ぎりぎりの身体感覚の表現はやはり夢という方法によるものだったから可能になったとも言える。

■ 第三夜

戦後、論者・伊藤整が「現実のすぐ隣りにある夢や幻想の与える怖ろしさ、一種の人間存在の原罪的な不安がとらえられている」と夢十夜を再評価し、その根拠となっていると考えられ、夢十夜を代表する一夜と見なされてきた。「一種の」「原罪的」とあるように、人間には生きているかぎり持たざるをえない罪の意識や不安の感情があり、「現実のすぐ隣りにある夢や幻想の与える怖ろしさ」といった次元で受けとめるべきである。また、河竹黙阿弥の戯曲「蔦紅葉宇都谷峠つたもみじうつのやとうげ」の盲人殺し、鶴屋南北「東海道四谷怪談」の死霊の祟りなどから、子供が石地蔵に変わるといった、伝統文学を背負っている物語であるとも読むべきである。

■ 第四夜

前半、人間存在の根本が問われているというふうに読む人があってもよい。後半で、浅黄の手拭いを笛を吹きつつ蛇にするという香師やしまがいの演出で、お伽話のような光景であり、怖そうにも面白そうにも見える。

■ 第五夜

太宰治「走れメロス」を連想する人も多いと思われるが、メロスは最後には間に合うのとは反対に、「自分」と女は永久に引き裂かれたままである。「何事でも人の意に逆らうひねくれ者の天探女あまのじゃくは膝を折った蹄ひづめの跡が岩に残っているかぎり自分の敵だ」という結びには、妨げた者への怒りと悲しみともつかない深い心が刻まれている。

■ 第六夜

運慶が仁王を刻んでいるというのは、作るのではなく掘り出すのだという芸術感がうかがわれる。天下の名工 運慶は、こしらえたものではない、万物の造形主が作った仁王を彫り出した=創り出したのである。芸術の究極の理想であるが、結びの「ついに明治の木にはとうてい仁王を埋まっていないものだと悟った」というのは、明治の文壇・美術界への痛烈な批判であり、運慶という理想は生きていても明治の人間は真の芸術・文学を創り出すことはできていないということになる。

■ 第七夜

人生航路ということばがあるように、大きな船という人生と黒い波という死のはざまに宙吊りになって束の間を生きている人間の心を描いていると言ってもよい。明治33年、漱石がドイツ汽船プロイセン号で英国留学に向かった時の体験が基礎にあるとされている。あるいは、パリで他の留学生と別れ、ひとりぼっちで夜の風浪のイギリス海峡を渡った時の心中が反映しているかもしれない。

■ 第八夜

床屋が舞台で、鏡が六つもあり、それらが外界を映し出すという装置になっている。目まぐるしく動いて行く近代日本の開化を漱石は批判しているが、床屋の鏡に次々と映っては過ぎていくものに、じっと動かぬ金魚売りを対置したところにも、漱石の文明批評がうかがわれる。

■ 第九夜

第三夜と同じく、夜の田圃たんぼ道を暗い杉の木立まで親が子を背負って歩いて行く。怪談めいた暗い第三夜とは対照的に、夫を思い、子を思い、父を思う親子の情愛が描かれている。生後間もなく里子に出され、また養子にやられた漱石の母恋いの情を思い浮かべることができる。また、勤王の志士らしい夫は国事に奔走して殺されたが、漱石は御百度参りをする妻を思う情ではなく、ひたすら夫を思い、子を思う女心を描いたとも言える。

■ 第十夜

全体を通して、大げさな、夢ならではの光景で面白さが際立つ。豚は俗物、明治の俗人たちとすれば、俗悪な近代文明と戦う漱石まで浮かんでくるが、「庄太郎は助かるまい。パナマは健さんのものだろう」という結びは、落語でもきくような、ユーモラスな楽しい味わいを読者に残してくれる。

以上です。

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