一人で居る奴は強いんだよ!「ぼっち」であることの何が恥ずかしい?この問いに答えられる奴は居るのか。

Written by Joe
de6f82efdb8cc556f154e86bc5972386

一人で居ることを恥ずかしいと思う現代の若者の病理

@fujimotokyo いつからか「一人でいる」ことを「ぼっち」などと呼び、ネガティヴに言う風潮が生まれた。「一人」や「孤独」が持つ価値を理解できない「本当に寂しい奴ら」の下らない「負け犬の遠吠え用語」に過ぎないのに、惑わされてる若者が多すぎる。現実社会は一人で居られない奴にこそ厳しく冷たいのだから。

これは、藤本貴之さんという、ある東洋大学の教授が昔ツイートした内容。

何気ないつぶやきにもかかわらず、当時100近くRTとお気に入りが来て、本人も驚いたという。

ぼっちであることに対する恐怖

筆者は大学の教員という職業がら、当たり前のことながら、大学生と接する機会が多い。そういう中で痛感することは、学生たち・若者たちの「ぼっち」への恐怖心である。

昼食を「ぼっち」で過ごしてしまうことへの嫌悪はもとより、授業選択で友達と関心が異なり、教室で「ぼっち」になってしまうことへの不安。
放課後にたまたま遊ぶ相手が見つからず「ぼっち」で帰宅する不安。

その根源にあるのは、一人でいることで、「ぼっちな奴」として回りから見られてしまうことへの恐怖である。

しかも、自分のやりたいこと、意思決定よりも、ボッチでないことのほうが優先度が高いという学生もいます。

そんな「ぼっち」を回避することが、彼ら・彼女らの意思決定の大きな要因となっているのではないか?ということに気づき、更に驚かされる。自分が本当にやりたいこと、関心があることがあったとしても、それが周囲の関心と異なってしまった場合、その決定(選択)により、自分一人(ぼっち)になってしまう可能性があれば、それを回避した選択をする。つまり、自分ややりたい事を放棄してまでも「ぼっち」を避けようとするのだ。

一人で居ることができる大人

一度社会にでれば、一人でいられないような人間、一人で仕事を貫徹することができない人間などは相手にされないし、少なくとも出世はしない。一人でいることの「価値」を認め、それを十分に利活用できる人生を歩むことは、一人前の大人として生きてゆくことと同義

一人でいることを「ぼっち」と呼び、恥ずかしむ風潮を支えているのは、そんな「大人になれないドロップアウト候補生」たちのネガティブ・キャンペーン、「さびしい負け犬の遠吠え」に聞こえてならない。大人に成りきれない「お子様たち」が自分の無責任で達成力のないことが許容される「子供時代」を延命するために、本来、重要な時間である「一人でいること」を「ぼっち」というネガティブ・ワードとして吹聴し、周囲の足を引っ張っているのではないか

参照元:http://blogos.com/article/94227/

まとめ

  1. ぼっちで居ることの何が恥ずかしい?
  2. 社会人になったらむしろ一人で居ることに耐えられないような人間はやってけない。ぼっちに耐えられなくてはまともな大人にはなれない
  3. ぼっちをネガティブに捉え、周りの足を引っ張っているのは、そういう大人になれない奴

読んでいて、耳が痛いですね。

確かに、人間考えれば生まれるときも死ぬ時も、人生を左右する様々な試験の時も一人です。

群れをなしてその中にいようとするっていうのは、やはり「一人で、何かする」という全て自分にかかっている状態を避けようとする甘えなのでしょうか。そしてその甘えてる集団がぼっちを「ぼっち」と名付ける。

集団に合わせる部分と、自分の意志で決める部分の割合は、調整が大変でしょう。ですが、自分の人生なら、後者を多くしたいですよね。

 

分からない事がある?質問しよう!